#07|歯車が違っていれば、きっと私もひきこもっていた
仕事を辞め、半年ほど無職だった期間がある。
この期間は、実家に籠もって働こうとしない兄に対して、寛容になれていた気がする。
「誰だって、そういう時間が必要だよね」と思えていた。
私は実家には帰らなかったし、無職期間の生活費はすべて自分でまかなっていた。
が、ふらふら過ごしている自分を肯定したいがために、兄に対しても寛容さを発揮していた部分は否定できない。

反対に、自分が仕事に追われ、キリキリと息つく暇もなく過ごしているときは、兄に対して冷めた感情を持つ。
「この先どうするつもりなんだろう」と。
兄に対する感情は、絶対評価ではなく相対評価。自分の状態や環境によって、簡単に揺れ動く。
ひきこもりの兄をもつ妹が書くエッセイです。50代の子どもを80代の親が支える「8050問題」の片隅に、家族の問題で人知れず悩むきょうだいがいます。
働いてほしい、わけじゃない
兄がどう生きようが、正直、私は何でもいい。
兄のこの先の人生に、私が勝手に組み込まれ、望まない負担がのしかかってくるのが嫌なだけだ。
究極のところ、「ひきこもりから抜け出してほしい」「働いてほしい」と強く願っているわけではない。
兄自身の人生だから。
本人が納得して生きているなら、外野が口を出すことではないと思っている。

不安の源泉は、破綻する未来
働いて何かを得ること。
達成すること。
影響力をもつこと。
貢献すること。
私は、こうしたことだけが、その人の価値になるとは思っていない。
人に対して「価値がある・ない」と値踏みする考え方は、息苦しい。
それに、世の中には働かずに暮らしている人もたくさんいる。たとえば世襲制の資産家や、FIREを実現した人たちなど。
十分なお金があり、健康で、本人も苦しんでいないなら、それは「自由な生き方」になる。
誰も「社会復帰しろ」とは言わない。
けれど、ひきこもりは違う。克服し、解決すべき問題として扱われる。
それはきっと、働いていないことが問題なのではなく、本人や家族の苦しみが透けて見えるからだ。破綻する未来が容易に想像できてしまう。

実際、兄は幸せそうには見えない。
自分の人生から目をそらすために、必死で何かを攻撃しているように見える。
表情や雰囲気から穏やかさが消え、鋭い目つきで社会や政治の批判をする姿は、見ていると痛々しい。
だから「本人の自由だから放っておけばいい」と安心できない。
普通に生きるだけで精一杯
家族という立場は、厄介だ。
誰かの生活がままならなくなれば、「身の回りの世話はどうする?」「お金は?」「手続きは?」といった現実が、一方的に迫ってくる。自分に余裕があろうとなかろうと。
本人の人生だとわかっていても、完全に切り離すことはできない。距離はとれても、割り切ることは難しい。そこがしんどい。
流れの速い今の社会は、普通に生きるだけで精一杯。ちゃんと、ずっと、働き続けることが難しい。

一度も心や体を壊さず生き残れる人は、どれくらいいるのだろう。
私も余裕なんていつでもなくて、ギリギリで泳いできた。仕事や人間関係のプレッシャーで、何度も眠れない夜があった。
もしも歯車がズレていたら…
兄は、違う時代に生まれていたら、もう少し生きやすかったのかもしれない。
今ほど自己責任論が強くなく、多少不器用でも、社会に居場所をもてた時代なら…。
私だってそうだ。
もし、出会った人やモノが違っていたら?
もし、運やタイミングの重なりが違っていたら?
歯車が少しずつずれていき、実家にひきこもっていたのは、兄ではなく私だったのかもしれない。
私がひきこもっていないのは、たまたま振り落とされなかっただけ。
仕事や私生活で行き詰まったとき、ふとそう考える夜がある。
大学卒業後、一般企業に就職。約10年前、退職を機に実家に戻り、両親と同居。その後、ひきこもり状態に。極端な思想に傾倒しやすく、同調しない相手への攻撃性が高い。
※ 本記事は実際の体験をもとにしていますが、身元の特定を防ぐため、一部の情報を省略・変更しています
