#06|きょうだいの立ち位置 距離を置くことは「ズルい」のか?
「あんたはズルい」
と、母は言った。
この言葉が、喉に刺さって抜けない小骨のように、心の奥に引っかかっている。
ひきこもりの兄をもつ妹が書くエッセイです。50代の子どもを80代の親が支える「8050問題」の片隅に、家族の問題で人知れず悩むきょうだいがいます。
膠着状態の家族
義務感で帰る実家の居心地の悪さは、私の寿命を5年は縮めていると思う。
実家を離れて20年以上。
子どもの頃に生まれ育った家は、柱も壁も古くなり、両親と同じように年老いている。

父も母も目立った健康問題はないが、記憶の中にある若い頃の面影と比べると、気力も体力も見た目も老人の雰囲気に変わっている。
家から出ない兄も50歳を過ぎ、中年といえる体型になった。
この10年、両親も兄も見た目は変化したけれど、生活は何も変化していない。
膠着状態。古い家に3人、取り残されたように暮らしている。
私は貝のように口を閉ざす
兄は、ときどき母のことを責めるという。
「こうなったのは親の育て方のせいだ」と。
母は嘆く。
「私もがんばってきたのに」
どちらの言い分もわかる。でも同時に、私はどちらの味方もできない。

夫婦仲が悪く、家族で楽しく過ごした記憶はほとんどない。心の通った会話をした覚えもない。
そんな環境で育ったからか、心の健康な成長がままならず、生きづらさを感じることが私にもある。
だから「もっと違う家族だったら」という「たら・れば」の仮定にすがりたくなる気持ちはわかる。
兄の場合、ひきこもった原因を自分以外に求めることでしか、自分を守れないのだろう。
一方で、母親世代の女性は、我慢を強いられた人も多かったと思う。
よほどの財力や後ろ盾がなければ、女性が一人で生きていくことは難しかった時代。
その中で、いびつな形になりながらも家庭を壊さず、経済的な不安はなく育ててくれたことは、大人になった今、感謝している。
だから私は、どちらか一方だけを悪者にできない。

兄と両親が揉めているとき、私まで参戦したら、新たな火種と悶着を増やすだけだ。
争う家族を黙って見ていると、悲しいとか辛いという感情より、「うるさい」「うんざりだ」という感覚になる。
大声で罵り合ったところで、何も解決しない。
喧嘩ばかりの両親を見ながら育った私は、痛いほどそれを知っている。
喚いたところで何も変わらないのだ。
だからこれ以上、疲れる不毛な争いはやめてほしい。
そんな気分で、私は家族の修羅場では貝のように口を閉ざす。
感情が消える感覚
母は、そんな私の態度が引っかかったのだろう。
どちらの味方もせず、空気が悪くなれば気配を消すようにやり過ごす私を見て、
「あんたはズルい」
と言った。

その瞬間のことを思い出し、詳しく書こうとすると、感情が消える感覚がある。
怒りでも悲しみでもない。
子どもの頃、両親の怒鳴り声を聞きながら、心を凍らせていたときの感覚に近い。
幼いときに泣けていれば、何か違っていたのだろうか?
泣いて喚いて、「もうやめて」と言えていればよかったのかもしれない。
でも、そんなことをしても、誰も受け止めてくれなかっただろう。「泣くな」と一喝されて終わるだけだ。
こうした経験が影響しているからか、私は今も家族の修羅場に入っていけない。
兄が親を責めて自分を守っているように、私は感情を凍らせて一線を引くことでしか、自分を守れないのだと思う。
たとえズルくても
母の言う通り、私はズルいのだろう。
兄の問題を、自分の人生の中心に置かない。
両親が辛い思いをしていても、一緒になって苦しまない。
でも、それの何が悪いの?
家族だからといって、人生を丸ごと引き受けなければならないルールは存在しない。
壊れそうになりながら支え続けることだけが、誠実さなの?
私にはわからない。
ただひとつわかるのは、私はもう、家族の修羅場の中心で消耗しつづける生き方を選べない、ということだ。

きっと今の状況をつくっているのは、過去の両親であり、兄であり、私でもある。
これまで積み上げてきた一人ひとりの在り方、生き方が、今の家族の形をつくっている。
誰か一人だけが悪いわけではない。だからこそ、出口がない。
これからも私は、距離を取って生きるだろう。
たとえズルくても。
そうすることでしか、私は自分の守り方を知らない。
大学卒業後、一般企業に就職。約10年前、退職を機に実家に戻り、両親と同居。その後、ひきこもり状態に。極端な思想に傾倒しやすく、同調しない相手への攻撃性が高い。
※ 本記事は実際の体験をもとにしていますが、身元の特定を防ぐため、一部の情報を省略・変更しています
