#01|ひきこもりの兄がいて、ツライ 楽しい時間ほど現実を思い出す
ひきこもりの兄がいる。
もう何年になるのだろう。それがすぐに思い出せないくらい、私は家族との縁が薄い。
記憶をたどって思い出せるほど、心の通った交流をしていない。
仲が悪くなるほど、近づいてもいない。シロアリに喰われた柱のように、中はスカスカ。空洞だ。
ひきこもりの兄をもつ妹が書くエッセイです。50代の子どもを80代の親が支える「8050問題」の片隅に、家族の問題で人知れず悩むきょうだいがいます。
心の中で「あの人」と呼ぶ
「お兄ちゃん」
高校生の頃までは、こう呼んでいた。声に出すときはもちろん、心の中でも。
けれど実家を離れて、もう20年以上が経つ。
今では心の中で、兄のことを「あの人」と呼んでいる。会う機会があっても、声に出して直接 呼びかけることは、ない。

あれは10年前くらいだろうか。
勤めていた会社を辞め、いつの間にか働かなくなっていた兄。
実家の一室にこもり、ネットで時間をつぶしながら、極端な思想に染まり、他人を見下し、社会を糾弾することでアイデンティティを保つようになった。
自分の意見に同調しない者は敵とみなし、鋭い目つきでにらみを利かせ、唯一の人間関係として残っている両親に罵声を浴びせる。
こうした状況を両親から聞いたり、帰省した際に目にしたりするたびに、私は兄を「兄」と思えなくなった。
そして時間だけが過ぎていった。
楽しいときに心から笑えなくなる
あるとき、私は自分の中だけに留めておくことが苦しくなり、でも誰かに負担はかけたくなくて、「まあ平気だけどね」という顔をして、兄のことを友人に話した。
友人は言った。
「そういうことがあると、楽しいときに心から笑えなくなるよね」

誰かと笑って過ごしてるとき。今日はいい一日だったなと充実感にひたってるとき。
ささやかな幸せを感じてるときに限って、思い出してしまう。笑えない現実を。
―― 私は、普通に暮らしている一般市民です。つつがなく過ごせている今が幸せです。
そんな顔をして道を歩いていても、仕事をしていても、旅行に出かけていても、ふと、「ああ、そういえば私にはひきこもりの兄がいるんだった」と我に返り、その瞬間が、楽しい時間を蝕む。心から笑うことを難しくさせる。
ひとことで言い表せない「そういうこと」
「そういうことがあると、楽しいときに心から笑えなくなるよね」
友人が言った「そういうこと」の中身を、私はこれから書いていこうと思う。
ひとことでは言い表せない出来事や感情、考えを書くことによって、「ひきこもりの兄がいて、ツライ」という状況を、自分なりに整理していきたい。
大学卒業後、一般企業に就職。約10年前、退職を機に実家に戻り、両親と同居。その後、ひきこもり状態に。極端な思想に傾倒しやすく、同調しない相手への攻撃性が高い。
※ 本記事は実際の体験をもとにしていますが、身元の特定を防ぐため、一部の情報を省略・変更しています
